国史跡大口筋白銀坂について

「白銀坂」は、鹿児島県姶良市脇元から鹿児島市宮之浦町の山間部を抜ける石畳の峠道です。

江戸時代に整備されたと考えられる白銀坂は、薩摩藩の主要街道(街道を筋と呼ぶ)である。

「大口筋」の一部で、藩内随一の難所として知られていました。

大口筋は、鹿児島城下から吉野(よしの)~重富(しげとみ)~帖佐(ちょうさ)~加治木(かじき)~溝辺(みぞべ)~横川(よこかわ)~菱刈(ひしかり)を通り、山野の小川内関所から亀坂を越え、肥後国境の亀嶺峠を下り水俣に至る、全長約70kmの街道を指します。

同じ大口筋上にある姶良市加治木町の「龍門司坂(たつもんじざか)」(国史跡)には、白銀坂とは異なり切石を敷き詰めた石畳が残っています。

なお、白銀坂が残る山なみは、古代から近世に至るまで大隅国(姶良市側)と薩摩国(鹿児島市側)の国境でした。

また、戦国時代には島津貴久や義弘などの武将たちが、周辺に陣を構えたといわれています。

江戸時代、薩摩藩の陸上交通における領外への主要街道は、小倉筋(西目筋)と東目筋に分けられていました。

寛永年間(1624~1644)に名称が改められ、小倉筋は出水筋・大口筋に、東目筋は高岡筋(日向筋)とされました。

領外に出ると、出水筋・大口筋は豊前小倉に、高岡筋は日向細島に出て主にここから海路を取って大坂・江戸へ向かいました。

またこの地に、加久藤筋、志布志筋、綾筋など鹿児島を中心として諸郷を連絡する街道があり、領外に通じる街道には関所が置かれ厳重な取り締まりが行われていました。

出水筋は、鹿児島~水上坂~横井野町~伊集院~猪代川~市来湊~串木野~高城~阿久根~野田~出水~米ノ津~野間の関を通り、肥後(熊本県)との国境「境橋」までの約100kmの道のりで、現在の国道3号線にほぼ沿っています。

高岡筋では、加治木麓で大口筋と分かれ、小浜~浜之市~住吉~新川~敷根~牧之原~通山~都城~高城を通り高岡の去川関(宮崎県高岡町)に至る街道で、現在の国道10号線に沿ったルートです。

なお、加久藤筋は大口筋から横川で分かれ、栗野~吉松~を通り、えびのへ向かう街道となります。



歴史の道「国史跡 大口筋白銀坂」より

編集・発行:鹿児島県姶良市教育委員会社会教育課文化財係